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東京高等裁判所 昭和63年(行ケ)236号 判決

アメリカ合衆国デラウエア州ウイルミントン・マーケツトストリート一〇〇七

原告

イー・アイ・デユポン・デ・ニモアス・アンド・カンパニー

右代表者

ドナルド・アレン・ヒユーズ

右訴訟代理人弁護士

宇井正一

同弁理士

西舘和之

米元直幸

東京都千代田区霞が関三丁目四番三号

被告

特許庁長官 深沢亘

右指定代理人

唐沢勇吉

加藤公清

田辺秀三

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

この判決に対する上告のための附加期間を九〇日と定める。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

「特許庁が昭和六二年審判第一八八三三号事件について昭和六三年八月四日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

二  被告

主文一、二項と同旨の判決

第二  請求の原因

一  特許庁における手続の経緯

出願人 原告

優先権主張 アメリカ合衆国一九七七年一〇月一四日出願

原特許出願 昭和五三年一〇月一二日(昭和五三年特許願第一二四七二二号、発明の名称「重水素化重合体の低減衰オプテイカル・フアイバー」)

分割出願 昭和五八年一二月二三日(昭和五八年特許願第二四二三三三号)

発明の名称 「重水素化重合体の低減衰オプテイカル・フアイバーの製造法」

出願公告 昭和六〇年一二月二〇日(昭和六〇年特許出願公告第五八四四四号)

特許異議の申立人 東レ株式会社、旭化成工業株式会社及び日本電信電話公社

旭化成工業株式会社の異議申立て認容決定 昭和六二年四月一六日拒絶査定 昭和六二年四月一六日

審判請求 昭和六二年一〇月一九日(昭和六二年審判第一八八三三号事件)

審判請求不成立審決 昭和六三年八月四日

二  本願発明の要旨(分割出願に係る発明の特許請求の範囲第一項記載に同じ。)

有機重合体の心とクラツデイングから成るオブテイカル・フアイバーを製造する方法において、重水素化されたメタクリレート重合体を紡糸して心フイラメントを作り、ついで該心フイラメントの上に、実質的に無定形の有機重合体から成り且つ心重合体の屈折率よりも少くとも〇・一%低い屈折率を有するクラツデイングを形成させることを特徴とする方法。(別紙参照)

三  審決の理由の要点

1  本願発明の要旨は前項記載のとおりである。

2  これに対して、特公昭四三-八九七八号公報(以下、「第一引用例」という。)には、一対の重合体押出機の一方の中央通路から心になる樹脂を供給し、その心のまわりにさや(クラツデイングに相当する)物質を供給し光伝送繊維を形成する方法が記載されている(特に一頁右欄八行ないし二〇行参照)。

また、心には、アルキル基の炭素数が一ないし六のメタクリル酸アルキルを少なくとも七〇%含有するポリメタクリル酸アルキル及びその共重合体を使用することが記載されている(二頁左欄下から一六行ないし右欄五行参照)。

そして、第一引用例の実施例、例えば実施例3には、心としてポリメタクリル酸メチル(ポリメチルメタクリレートと同義)を用い、さやにはメタクリル酸フルオロアルキル重合体を用いた例として、心の屈折率を一・四九、さやの屈折率を一・三六、したがつて、さやの屈折率は心よりも八・七二%低いものを使用することが記載されている。更に、さやには無定形のものを用いることも記載されている(二頁右欄下から一二行ないし下から二行)。

3  本願発明と第一引用例記載のものとを対比すると、まず、本願発明の、クラツデイングの屈折率を心のそれよりも少くとも〇・一%低いこととする要件は、第一引用例記載のものも、この範囲内の屈折率のさや(クラツデイング)と心との組合わせを使用した例が示されているので、第一引用例記載のものはこの要件を充たしている。

その他の構成についてみると、本願発明は重水素化されたメタクリレート重合体を紡糸して心フイラメントを作るのに対して、第一引用例記載のものは重水素化されていないメタクリレート重合体を紡糸して心を作つており、本願発明と第一引用例記載のものとは、この点で相違している。

重水素化されたメタクリレート重合体を用いた効果として、本願明細書には、重水素化されていないものを用いたフアイバーに比べ、伝達される光の減衰が低くなることが記載されており、減衰の低下の著しい波長域として約六九〇nm、七八五nmが例示されている。

4(一)  右相違点について検討する。

「KUNSTSTOFF-HANDBUCH」第Ⅸ巻・「Polymethacrylate」一八三頁ないし一九三頁(以下、「第二引用例」という。)、特に一八六頁八行ないし一三行には、PMMA(ポリメチルメタクリレート)からなるオプテスカル・フアイバーの場合、スペクトルの紫外部及び近赤外部に存在する吸収帯がオプテイカル・フアイバー内部の光の損失に大きく影響することが、また、同じく第二引用例一九〇頁六行ないし二一行には、近赤外領域とは〇・七ないし三・〇μmの波長領域をさすものであることが記載されている。そうすると、本願明細書の発明の詳細な説明に例示されている波長域の近傍で、吸収帯の存在がオプテイカル・フアイバー内部で光損失に影響を与えることは、この出願前すでに公知であつたということができる。

そして、第二引用例一九〇頁六行ないし二一行には、アクリルガラスの吸収帯(光吸収最大値)のほとんど全てはR-H型(R=残基)の水素振動に実質上起因し、アクリレート及びメタクリレートの近赤外部の吸収帯にはCH3-、CH2-、CH-基のH振動に起因する吸収が一・一五、一・三五、一・六ないし一・八μmに存在することが記載されている。

(二)  一方、「JOURNAL OF APPLIED POLYMER SCIENCE」第七巻一六九七頁ないし一七一四頁(以下、「第三引用例」という。)、特に、一七〇二頁下から一〇行ないし下から一行には、PMMAの二九九五、二九四八、及び二八三五cm-1において吸収帯が認められ、これらの吸収帯はいずれも充分に重水素化された重合体では吸収を示さないことから、C-H振動に関連があること、CH2及びaCH3基を重水素化するとこの領域の吸収帯の強度が減じること、二九二〇、及び二八三五cm-1における吸収帯はCH3基の重水素化により消失することが記載されている。

(三)  第三引用例で言及されている吸収帯は、通常のオプテイカル・フアイバーの使用波長範囲とは異なるが、吸収帯は複雑なスペクトルのなかで幾つかの波長帯域に存在すること、PMMAがオプテイカル・フアイバーの材料として周知のものであること、更に、第二引用例に示されているように、PMMAからなるオプテイカル・フアイバーにおいて吸収帯による光損失の影響が認識され、吸収帯は水素振動に起因することが既に知られていたことを考慮すると、重水素化されたPMMAが水素振動に基づく吸収を除去、あるいは減少させ得ることに着目し、オプテイカル・フアイバーの伝送損失に影響を与えている波長域での吸収帯の除去、減少のためにメタクリレート重合体を重水素化することは当業者が容易に想到し得たことと認められる。

5  したがつて、本願発明は、前記第一ないし第三の各引用例に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明することができたものと認められるので、特許法二九条二項の規定により特許を受けることができない。

四  審決の取消事由

1  審決の理由の要点1ないし3及び4(一)、(二)は認める。但し、同4(二)における第三引用例の記載内容は不正確であつて、同引用例の第2図のスペクトルが示す事実と矛盾する。同4(三)のうち、重水素化されたPMMAが水素振動に基づく吸収を除去、あるいは減少させ得ることに着目し、オプテイカル・フアイバーの伝送損失に影響を与えている波長域での吸収帯の除去、減少のためにメタクリレート重合体を重水素化することは当業者が容易に想到し得たとの点は争い、その余は認める。同5は争う。

審決は、第三引用例に開示された技術内容及びその示唆の範囲を誤認した結果、本願発明の進歩性を否定したものであるから、違法として取り消されるべきである。

2  本願発明の重水素化メタクリレート重合体について

(一) 本願発明は、従来技術によるオプテイカル・フアイバーのうち全プラスチツクオプテイカル・フアイバーの光伝達能力を改善することを目的ないし技術課題とするものである。

従来の全プラスチツクオプテイカル・フアイバーは、曲げに強く、破砕し難いが、光減衰による伝送損失が大きいという欠点を有する。本願発明は、重水素化したメタクリレート重合体(以下、メタクリレート重合体(ポリメチルメタクリレート、ポリメタクリル酸メチル、ポリメチルメタクリレートと同義)を「PMMA」といい、重水素化したメタクリレート重合体を「重水素化PMMA」という。)を紡糸してフイラメントに形成し、これからオプテイカル・フアイバーの心を作ることにより、一五〇dB/km以下の全プラスチツクオプテイカル・フアイバーとしては極めて低い光減衰値が達成されたのである。

本願発明のオプテイカル・フアイバーの心材料として使用する重水素化PMMAはメタクリレート単量体を重水素化した後、これを2、2-アゾービス(イソプチロニトリル)等の特定のアゾ系の触媒ないし重合開始剤で重合させて作られる。この重合開始剤による重合はオプテイカル・フアイバーの心となるフイラメントに形成できる非立体規則性の重水素化PMMAを製出する。

(二) 本願発明は、明細書の特許請求の範囲に記載されているように、オプテイカル・フアイバーの心フイラメントを「重水素化されたメタクリレート重合体」(重水素化PMMA)から「紡糸して」作ることを構成要件とする。この重水素化PMMAは、その紡糸成形性から当然に非立体規則性のものであつて、六九〇nm及び七八五nm付近(例えば七九〇nm)の波長域で著しく低い減衰を示すものであるから(本願の特許出願公告公報(以下、「本願公報」という。)六欄三四行ないし三九行、同二三欄二一行参照)、これらの波長域を含むその前後の低減衰を示す波長域が基本的に本願発明のオプテイカル・フアイバーで使用される波長範囲となる。具体的な波長範囲の数値を挙げれば、四〇〇ないし一一〇〇nmである(本願公報二三欄九行ないし一〇行、二五欄三四行ないし三五行)。

被告は、使用波長範囲は周辺技術の改善、進歩によつて変化し、範囲が広がつていくものであり、新たな光源の開発によつてオプテイカル・フアイバーの使用波長範囲が拡大すると主張するが、光通信に用いる光源は、オプテイカル・フアイバーによつて低減衰で伝送される波長域の光を発生し得るものでなければならず、換言すれば、オプテイカル・フアイバーの伝送光に合つた光源を開発、選択する必要があるのであつて、光源の波長に合わせて使用波長域を定めるものではない。

3  第三引用例の技術的内容及びその示唆の範囲の誤認

(一) 第三引用例には審決認定のとおりの記載があるが、そこで問題とされている重水素化PMMAの吸収帯の波長域は二九九五cm-1(三三三八nm)から二八三五cm-1(三五二七nm)までの波長の大きな赤外線の領域であるから、本願発明のようなオプテイカル・フアイバーで使用される可視光線を中心とする四〇〇ないし一一〇〇nmの波長範囲を遥かに越えている。したがつて、第三引用例に開示された研究の結果は、本願発明のような四〇〇ないし一一〇〇nmの使用波長領域での光減衰の低下を図るという目的を持つ技術にそのまま妥当するものではない。

一般に、光と物質(原子ないし分子から構成されている。)との相互作用は、光の種類(例えば光が赤外線であるか、又は可視光線であるか、もしくは紫外線であるか)によつて異なる。第三引用例の研究において赤外線が利用されているのは、赤外線の吸収は物質を構成する分子に固有であり、赤外線の吸収が分子内の原子の振動等に密接に関係しているという事実によるものである。一方、赤外線より波長の短い七〇〇ないし四〇〇nm位までの可視光線領域(場合によつては三五〇ないし三四〇nmまでも可視光線に含めることがある。)や更に波長の短い紫外線の吸収スペクトルは、分子内の電子エネルギー準位の遷移によるものであり、赤外線吸収スペクトルとは異なる原因に基づくものである(甲第八号証(国友願一外五名・「わかりやすい有機化学」・廣川書店昭和六一年四月一日発行)三二二頁一行ないし三三三頁一七行参照)。したがつて、赤外線吸収スペクトルについての論述は可視光線スペクトルには妥当せず、可視光線スペクトルについての論述は逆に赤外線吸収スペクトルには妥当しないのである。

第三引用例の第2図(一六九九頁)には非重水素化PMMAの赤外線吸収スペクトルと重水素化PMMAの赤外線吸収スペクトルが示されており、Aは非重水素化PMMA、BはPMMA中の三個の水素を重水素に変えたPM-d3・MA、CはPMMA中の五個の水素を重水素に変えたPM・MA-d5、DはPMMA中の八個の水素を重水素に変えたPM-d3・MA-d5の各赤外吸収スペクトル図である(なお、EはPEMAであつて、PMMAではない。)。第2図のAないしDを比較すると、PMMAの重水素化によつて波数(振動数)三〇〇〇cm-1(三三三三nm)付近の吸収が減少することが認められるが、それでも透過率は六〇%程度であり、一方、二三〇〇ないし二二〇〇cm-1(四三四八ないし四五四五nm)付近では、重水素化に伴つて新たな吸収が出現することが明瞭に認められる。一三〇〇ないし一一〇〇cm-1(七六九二ないし九〇九一nm)の領域では、PMMAの重水素化による吸収極大波数のシフトがみられるものの、全体としては重水素化してもかなり強い吸収が依然として残るのである。そして、全体としてみると、非重水素化PMMAよりも重水素化PMMAの方が透過率が低下している(吸収は増加している。)。それゆえ、第三引用例における三〇〇〇cm-1(三三三三nm)付近の吸収の減少のみから可視光線を中心とする本願発明のオプテイカル・フアイバーの使用波長範囲での吸収の如何を論ずることはできない。

(二) 第三引用例に示されたPMMAは立体規則性のものである。オプテイカル・フアイバーの心に使用されるプラスチツクポリマーとしては、高度の透明性や屈折率、低散乱損失を有することのほかに、成形性すなわち繊維に形成し得る性質等が良好であることが求められる。この選択基準から、コアポリマーとして使用するPMMAは非晶質(無定形)のものでなければならないが、第三引用例におけるような立体規則性のPMMAは結晶性であつて、その結晶性のために溶融、紡糸に多くの困難が伴い、成形性に欠けるために、実用的なオプテイカル・フアイバーのコアポリマーとして不適当である。

なお、立体規則性PMMAの製造は特殊で高価な金属触媒を使用するイオン重合によらなければならず、重合条件のコントロールが非常に難しく、高コストにつく等の理由から、工業的に実施することが困難であるため、立体規則性PMMAは学術的な研究に限られるものであつて、当業者がPMMA系オプテイカル・フアイバーを工業的に製造するための開発に当たつて工業的に得られないことが明らかな立体規則性PMMAを考慮にいれることはなく、立体規則性PMMAについての吸収帯域の研究報告書はオプテイカル・フアイバーの技術の改善に係る示唆を与えるものとはいえない。

(三) なお、第二引用例にも、審決認定のとおり、PMMAからなるオプテイカル・フアイバーの場合スペクトルの紫外部及び赤外部に存在する吸収帯がオプテイカル・フアイバー内部の光の損失に大きく影響することが記載されているが、第二引用例が示す水素振動に基づく吸収は一・一五、一・三五、一・六ないし一・八μm(一一五〇、一三五〇、一六〇〇ないし一八〇〇nm)に存在する吸収であるのに対し、本願発明におけるオプテイカル・フアイバーにおいて使用できる光の波長は現状では四〇〇ないし一一〇〇nmであるから、第二引用例に示された水素振動は本願発明とは関係のないものである。

第三  請求の原因に対する認否及び被告の主張

一  請求の原因一ないし三は認める。同四は争う。審決の認定、判断は正当であり、審決を取り消すべき違法はない。

二1  本願発明が使用波長範囲を特定したものでないことは特許請求の範囲の記載から明らかである。そして、原告の主張において、効果を奏した波長域として挙げられている六九〇nm及び七八五nmの波長域も、特定の条件のもとに得られたデータの一部として発明の詳細な説明に例示されているにすぎない。

もともと、オプテイカル・フアイバーの使用波長範囲は、材料の相違による特性の相違に加え、用途、光源、検出器等の組合わせによつて特定されるものであり、周辺技術の改善、進歩によつてその範囲は広がり、また、新たな光源の開発によつてもその範囲は拡大する。

本願発明のオプテイカル・フアイバーの使用波長領域が可視域及び近赤外領域に限定される旨の原告の主張は根拠がないものである。

2  取消事由について

(一) 第三引用例で言及されている吸収帯の波長領域は赤外領域であり、通常のオプテイカル・フアイバーの使用波長領域とは異なることは審決も認めている。また、第二引用例にも記載されているように、PMMAを用いたオプテイカル・フアイバーは近赤外領域で吸収があり、この領域での使用は光損失が大きいという問題が認識されており、しかも、光の吸収を引き起こす吸収帯の存在は、R-H型(Rは残基)の水素振動に起因することも従来から認識されていた事実である。

本願発明は、本願公報に「心の重合体中のC-H結合の量(C-D結合とは異なる)が最小になつたとき最高の光伝送が行なわれる波長において光の減衰は最低になる。」、すなわち、C-H結合をC-D結合に置換することによつて本願発明の効果が逹成されることが記載されており、この記載によれば、従来、近赤外領域で吸収の原因として考えられていた水素振動に基づく吸収帯の除去を基本として本願発明が成り立つていることは明らかである。してみると、本願発明は、分子内の電子のエネルギー準位の遷移に基づく可視領域のスベクトルのメカニズムではなく、分子内の原子間結合の振動に基づく赤外吸収的スペクトルのメカニズムを基にして成り立つていることは明らかである。また、本願公報の第5表の測定結果を見ても、七六七ないし九〇〇nmの波長範囲で重水素化による光減衰の改善は著しく、特に九〇〇nmでは最も大きな改善結果が示されている。この波長領域は、従来、水素振動に基づく吸収帯によつて光の吸収損失が大きいとされている領域である。もつとも、第5表の測定結果には可視領域にも改善が見られるが、この点は赤外領域のC-H基準振動の倍音振動、結合振動による吸収が可視領域に存在し、C-D置換によつて改善されたものとして理解される。この点は、第二引用例にも倍音振動、結合振動の存在について記載されており、可視領域の吸収帯、例えば六二〇nmについて、光伝送体(オプテイカル・フアイバー)を長くすると吸収損失として強く現われることを示している。

更に、本願発明は、高速赤外ダイオードを光源として使用し得ることを利点として挙げているが(本願公報一九欄三九行ないし四一行)、これは、赤外領域の吸収損失が改善されたことを意味している。

第三引用例は、本願発明及び第二引用例と同じPMMAにおいて、重水素化することによつてC-H振動に関連した吸収帯の強度が減じ、あるいは消失する事実を示しており、C-H振動に基づく吸収帯に関して論述した点で、第二引用例、本願発明と共通したメカニズムの吸收スペクトルを取り扱つている。したがつて、第三引用例に示される重水素化、すなわち、C-H結合をC-D結合に置換することを、第二引用例で提起されているC-H振動に基づく吸收帯による光吸収損失を減少ないし消失する手段として認識することは容易に想到し得ることである。

本願発明が従来技術と比較して相違する点は、PMMAからなるオプテイカル・フアイバーにおいて、C-H結合をC-D結合に置換しただけであり、第三引用例の示唆に基づいて本願発明を構成することは、技術上なんら困難なことではない。

(二) 原告は、第三引用例記載のものは立体規則性のPMMAでありオプテイカル・フアイバーの心に適用できないものであると主張する。しかしながら、第三引用例の第1表(一六九八頁)には、タクチツク(立体規則性)に対応するアタクチツク(非立体規則性)重合体が記載されている。また、甲第九、第一〇号証をみても、結晶性ポリマーは好ましくないとの記載はあるが、立体規則性のPMMAはオプティカル・フアイバーの心に適用できないとの記載はない。

なお、第三引用例については、PMMAの重水素化によつて、水素振動に基づく吸収帯の強度が減少ないし、吸収帯が消失するという現象が見出された点が重要であつて、PMMAを重水素化すること或いはPMMAを紡糸してオプテイカル・フアイバーの心を構成すること自体は全て確立された技術である。

第四  証拠関係

本件記録中の書証目録の記載を引用する。

理由

一  請求の原因一ないし三(特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨、審決の理由の要点)については、当事者間に争いがない。

二  本願発明の概要

成立に争いのない甲第二号証(本願公報)によれば、本願発明は重水素化された心と、心よりも屈折率が低い重合体のクラツデイングとを有する損失の少ないオプテイカル・フアイバーの製造法に関するものであること、オプテイカル・フアイバーはフイラメントの長さに沿つて光を多重内部反射することにより光を伝達するためのものであることは公知であるが、フイラメントの長さに沿つて光が吸収及び散乱されることによる光の損失を最小とするように注意を払つて、オプテイカル・フアイバーのフイラメント材料の一端に供給された光が効率よくその材料の他端へと伝達されるようにしなければならず、オプテイヵル・フアイバーをつくる上で考慮しなければならない重要なことは、このようなフアイバーの内部で伝達される光の減衰を強めるような因子を最小にすることであること、従来技術によるオプテイカル・フアイバーとしては、全部無機ガラスでつくられたオプテイカル・フアイバー、心が無機ガラスでその周りを熱可塑性又は熱硬化性重合体で取り囲んだもの、或いは全部熱可塑性重合体からできたものが当業界で公知であり、そのうち全部プラスチツクでできたフアイバーは、破砕することは少ないが、その中を通る光を減衰させる程度が大きいという欠点を有するところ、本願発明は全プラスチツクオプテイカル・フアイバーの光を伝達し得る能力を改善することを指向するものであること、及び、本願発明によれば、六九〇nm及び七八五nm付近の光で三〇〇dB/km(デシベル/キロメートル)より小さい減衰度のオプテイカル・フアイバーは普通につくられ、一五〇dB/km程度の減衰度のものも得られることが認められる。

三  第一引用例には審決認定のとおりの記載があること、本願発明と第一引用例記載の発明との相違点は審決が認定するとおりであり、その余の点において両発明が一致することについては当事者間に争いがない。

四  取消事由に対する判断

1  本願発明の重水素化PMMAについて

(一)  原告は、本願発明の重水素化PMMAは、2、2-アゾービス(イソブチロニトリル)等の特定のアゾ系の触媒ないし重合開始剤で重合させて作られるから、非立体規則性の重水素化PMMAを製出すると主張し、本願発明の重水素化PMMAは非立体規則性のものに限られるかのごとくに主張するので、その当否について判断する。

前掲甲第二号証によれば、本願公報の発明の詳細な説明の項には、重水素化PMMAの重合に関し、「重合は可溶性の遊離基重合開始剤を用いて行なう。」との記載(一〇欄一六行ないし一七行)があることが認められ、成立に争いのない甲第五号証(第三引用例)によれば、同引用例には「ラジカル重合によつて合成されたポリマーも結晶化はできない。」との記載(訳文二頁一七行ないし一八行)のあることが認められるところ、遊離基重合がラジカル重合を意味することは明らかであるから、これらの記載によれば、本願公報の発明の詳細な説明の項における前記の重水素化PMMAは非立体規則性であることが窺われる。しかしながら、本願発明は、特許請求の範囲の記載から明らかなように、どのような触媒ないし開始剤を用いてPMMAを重合するのかという点については何の限定もしていないし、また、PMMAの立体規則性に関する限定もしていない。

しかして、光フアイバーに用いるPMMAとしては非晶質のもの(結晶化しにくいもの)が好適であるということは被告も明らかに争わないところ(いずれも本願出願後の文献であるが、成立に争いのない甲第九号証(井上文雄外一名「プラスチツク光フアイバー」・「高分子」一九八四年一一月所収・社団法人高分子学会同月一日発行)及び甲第一〇号証(大塚保治・「最近の光フアイバー」・「高分子加工」一九八八年二月号所収・高分子刊行会同月二五日発行)にもこの点を更に敷衍した記載があることが認められる。)、立体規則性のPMMAは一般的には結晶化し易いということができるが、前掲甲第五号証によれば、第三引用例には、立体規則性のPMMAでもシンジオタクチツクボリマーは結晶化が非常に困難であることが記載(訳文四頁七行ないし八行)されていることからみて、立体規則性のPMMAは光フアイバーに全く使用できないと結論づけられるものでもない。

更に、成立に争いのない甲第六号証(村橋俊介外二名改訂新版「ブラスチツクハンドブツク」・株式会社朝倉書店一九六九年六月二〇日発行)によれば、同号証には「メタクリル酸メチルの重合は、ラジカル重合機構ならびにイオン重合機構いずれにおいても行なわれるが、現在工業的に採用されているのはほとんどラジカル重合によるものであり、イオン重合によるものは、まだ研究対象の域を出ていない。」との記載(三九六頁下から三行ないし末行)のあることが認められ、同じく成立に争いのない甲第二〇号証(筏義人外五名「高分子事典」・株式会社高分子刊行会一九七一年二月二〇日発行)によれば、同号証には「アニオン重合ではアイソタクチツクPMMAが得られ、」との記載(二九〇頁一四行ないし一五行)のあることが認められ、これら記載によれば、その工業化の可否はともかく、PMMAといえば立体規則性のものも非立体規則性のものと並んで周知であることが認められる。

以上によれば、本願発明における重水素化PMMAを非立体規則性のものに限定する理由はなく、立体規則性のものと非立体規則性のものとの両方を含むものであると解するのが相当である。

(二)  また、原告は、本願発明のオプテイカル・フアイバーで使用される波長範囲は、本願発明の重水素化PMMAが六九〇nm及び七八五nm付近の波長域で著しく低い減衰を示すものであるところから、四〇〇ないし一一〇〇nmである旨主張するので、その当否について判断する。

本願発明の特許請求の範囲には使用する光の波長を限定する記載はなく、また、前掲甲第二号証によるも、本願公報の発明の詳細な説明中にも本願発明の使用する光の波長範囲を限定するような一般的記載は見当たらない。なお、前掲甲第二号証によれば、本願公報にはタングステンハロゲン光源又はキセノンアーク灯光源を用いて四〇〇ないし八〇〇nm及び七〇〇ないし一一〇〇nmの波長の光を伝送した場合の光の減衰度を測定した実験結果が実施例として示されていることが認められるが(二三欄四行ないし二二行、二六欄二七行ないし二七欄一行)、これはあくまでも一実施例のものにすぎず、これをもつて本願発明が使用する光の波長範囲が四〇〇ないし一一〇〇nmに限定されると解することは相当でない。

原告は、光通信に用いる光源は、オプテイカル・フアイバーによつて低減衰で伝送される波長域の光に合つたものを開発、選択する必要があるのであつて、光源の波長に合わせて伝送光の使用波長域を定めるものではないところ、本願発明の重水素化PMMAが六九〇nm及び七八五nm付近の波長域で著しく低い減衰を示すものであるから、本願発明の伝送光の使用波長範囲は右二つの波長域付近に限定される旨主張する。しかしながら、オプテイカル・フアイバーによつて光を伝送するためには、光を発生する光源及びそれを受ける検出器等が必要であり、このような発光、受光装置の性能、精度、効率、経済性等は当然考慮に入れるべき要因であり、オプテイカル・フアイバーによる光の減衰のみの観点から使用すべき光の波長範囲が決定されるとは常識的に考え難いことである。そして、前掲甲第二号証によれば、本願公報には「本発明のオプテイカル・フアイバーは重水素化されない単量体からつくられたものに比べ光の減衰が低いから、長距離用として使用できるという点及び、高速赤外放射ダイオード及びソリツド・ステート・レーザーと共に使用できるからデーター転送速度が速い点で有利である。」との記載(一九欄三六行ないし四一行)があることが認められ、この記載によれば本願発明は光源として赤外線を使用することも意図していることは明白であるところ、成立に争いのない甲第一七号証(化学大辞典編集委員会「理化学辞典」第三版・株式会社岩波書店一九七一年五月二〇日発行)によれば、赤外線とは七六〇nmないし一〇〇〇〇〇〇nmの波長範囲の電磁波をいい、特に二五〇〇nm以下の赤外線を近赤外線ということが認められる(七一九頁)。

以上によれば、本願発明のオプテイカル・フアイバーで使用される波長範囲は、その特許請求の範囲の記載からみて四〇〇ないし一一〇〇nmであると限定して解することは相当ではなく、本願発明において赤外線を光源として使用することが意図され、また、近赤外領域を含む七〇〇ないし一一〇〇nmの波長の光についての実験結果が示されているところからみて、少なくとも二五〇〇nm以下の近赤外領域をも含むものであると解さざるを得ない。

2  第三引用例の技術的内容及びその示唆の範囲の誤認の主張に対する判断

(一)  第三引用例には審決認定のとおりの記載があることについては当事者間に争いがない。

(二)  原告は、赤外線吸収スペクトルと可視光線領域や紫外線の吸収スペクトルとは異なる原因に基づくものであるところ、第三引用例は赤外線吸収スペクトルについての論述であるから、可視光線領域を対象とする本願発明には当てはまらない旨主張するので、以下検討する。

原告は、成立に争いのない甲第八号証(国友順一外五名「わかりやすい有機化学」・廣川書店昭和六一年四月一日発行)を右主張の裏付けとして引用するが、同号証は、本願が出願された一九七七年一〇月四日より九年六月近くを経た昭和六一年(一九八六年)四月一日に発行されたもので、両号証中の原告引用に係る記載部分が本願出願前において当業者間において周知であつたことを認めるに足りる証拠はないから、その点において、原告の主張は裏付けを欠くものとして失当といわざるを得ない。

しかし、成立に争いのない本願出願前の昭和四五年二月一日に発行された甲第一四号証(丸山和博「構造有機化学Ⅲ」・共立出版株式会社発行)には、表8・1電磁波の波長領域と分光分析法の説明として、近紫外・紫外一八五-四〇〇mμ及び可視四〇〇-八〇〇mμの帯域の吸収が「結合を形成する原子価電子の活性化」によるものであり、近赤外一二五〇〇-四〇〇〇cm-1及び赤外四〇〇〇-三〇〇〇cm-1の帯域の吸収が「分子の振動状態の活性化」によるものである旨の記載(五六六頁)があり、右記載は、前掲甲第八号証とほぼ同旨のものと認められるので、甲第八号証の周知性の点はしばらく措き、原告の前記主張について検討する。前掲甲第八号証には、「紫外スペクトルultraviolet apectrum(UV)は波長領域が二〇〇~三六〇nm(ナノメーターと呼ぶ10-9m)の吸収スペクトルであり、更に長波長側の三四〇~七〇〇nmの領域は可視スペクトルvisible spectrumと呼ばれている。このスペクトルは後述するように分子内の電子のエネルギー準位の遷移に基づくものである。」との記載(三二三頁九行ないし一三行)及び「分子の振動状態に基づく変化が赤外吸収スペクトルinfrared spectra(IR)で、振動スペクトルとも呼ばれている。有機化合物が振動するために吸収する光の波長は二・五~一五μで、これが赤外スペクトルの領域である。」との記載(三二七頁一二行ないし一五行)のあることが認められ、これら記載によれば、可視光線領域や紫外線の吸収スペクトルは分子内の電子のエネルギー準位の遷移に基づくものであるのに対し、赤外線吸収スペクトルは分子の振動状態の変化に基づくものであつて、両者は異なる原因に基づくものであると認められるところ、第三引用例の記載が振動スペクトルすなわち赤外線吸収スペクトルに関する論述であることは、その記載内容自体から明らかである。一方、本願発明のオプテイカル・フアイバーで使用される波長範囲は可視光線領域に限定されるものではなく、少なくとも二五〇〇nm以下の近赤外領域をも含むものであることは前記1(二)認定のとおりであるが、前記二認定の本願発明の概要によれば、本願発明の重水素化PMMAは六九〇nm及び七八五nm付近の波長城で低い減衰を示すものであるところから、前掲甲第八、第一四号証による限り、本願発明におけるPMMAの重水素化による可視領域における伝送光の減衰性の向上の効果は、分子内の電子のエネルギー準位の遷移に基づく吸収が改善されたことによるものであつて、振動スペクトルすなわち赤外線吸収スペクトルに関する論述である第三引用例の記載とは関連性がないのではないかとの疑義が生ずる。

しかしながら、前記引用に係る甲第八及び第一四号証の記載は、有機化合物一般に関する記述に止る。現に、前掲甲第八号証には「少しでも分子の構造が違うと当然吸収されるエネルギー、波長も異なり、吸収の程度も異なる。」と記載(三二二頁五行ないし六行)され、また、前掲甲第一四号証には「これらのエネルギーの準位は、分子を構成する原子の種類、その組み合わせ、分子の対象性・・・・などによつて微妙に異なる・・・」と記載(五六五頁七行ないし九行)されていることからみて、原告がその主張の裏付として指摘する甲第八号証及び前掲甲第一四号証の記載がPMMAのような特定の有機化合物に当然あてはまるものと即断することはできない。そして、前掲甲第二号証の本願公報にはPMMAの可視光線領域における光の吸収が分子内の電子のエネルギー準位の遷移に基づくものである旨の記載は一切存在せず、また、PMMAの重水素化によつて可視光線領域における光の吸収が改善されたことは分子内の電子のエネルギー準位の遷移に基づく吸収を減少させたことによるものであることを立証する実験結果等も記載されていないから、発明者がPMMAの可視光線領域における光の吸収が分子内の電子エネルギー準位の遷移に基づくとの認識のもとに、右の吸収を減少させるため、心フイラメントに重水素化PMMAを用いる本願発明をするに至つたものと認めることはできない。

他方、PMMAがオプテイカル・フアイバーとして周知であること、第二引用例にはPMMAからなるオプテイカル・フアイバーにおいて吸収帯による光損失の影響が認識され、吸収帯は水素振動に起因することが示されていること、吸収帯は複雑なスペクトルのなかで幾つかの波長帯域に存在することは当事者間に争いがなく、更に、成立に争いのない甲第一二号証(柿沢寛「有機化合物への吸収スペクトルの応用」・株式会社東京化学同人一九六八年一〇月一〇日発行)によれば、同号証には分子の振動に関し、「上記の基準振動のほかに、ある吸収の2倍、3倍、・・・・の波数(〈省略〉、〈省略〉倍、・・・・の波長)でだいぶ強度の弱い倍音振動か、二つ以上の異なる吸収の波数が加え合わさつた結音振動、二つ以上の異なる波数の差に相当する差吸収帯などが現われることがある。」との記載(二六頁一六行ないし一九行)のあることが認められ、また、成立に争いのない甲第四号証(第二引用例)によれば、同引用例には「現在ある〇・三~二・五mの長さのCrofon〈R〉光伝送体の場合、およそ六二〇、七二五、八八六、九九六nmにあるPMMAの吸収帯ですら強く現われる。」との記載(訳文九頁三行ないし五行)及び「“近赤外”スペクトル領域という言葉は、〇・七~三・〇μmの波長範囲を示すものと理解される。従つて、近赤外は、可視スペクトル領域と赤外スペクトル領域の間にある間隙をとざすものである。この領域で、アクリルガラスでこれまで観測されている殆ど全ての吸収帯(光吸収極大)は、本質的にR-Hタイブ(R=残基)の水素振動に帰せられる。これらの振動は、一方では倍音振動を、他方では結合振動を含んでいる。」との記載(同一九頁二行ないし一〇行)のあることが認められ、これらの記載はPMMAの〇・七~三・〇μmの近赤外領域における吸収は、主として水素振動に起因するものであることが明瞭に開示され、そして可視領域においても水素振動に起因する倍音・結合音の吸収があることが示唆されているものと認めることができる。

なお、前掲甲第九号証によれば、同号証には「一般に有機系ポリマーは、赤外領域に各種の分子振動吸収、紫外領域に電子遷移吸収を有する。分子を構成する炭素と水素の結合に基づく赤外振動吸収の高調波吸収の影響は可視領域にまで及び、POF、伝送損失の固有要因となる。PMMAの電子遷移に基づく紫外吸収は、・・・・PMMAの場合五〇〇nm以上の可視領域ではほとんど無視できる。」との記載(八三六頁左欄下から四行ないし同頁右欄一〇行)のあることが認められ、前掲甲第一〇号証によれば、同号証には「有機ポリマーは赤外領域に多数の振動吸収を有し、紫外領域には電子準位の励起による強い吸収があることから可視光線の領域が対象である。紫外部吸収の裾の強度は波長とともに低下する。図2(PMMA系光フアイバーの伝送損失)の曲線Bに紫外部吸収の見積値を示した。PMMAの場合には可視部への影響は少ないが、ポリスチレン(PSt)では若干の影響がある(図は省略)。赤外部振動吸収の影響は重要である。C-H基準振動の倍音・結合音の吸収が可視部にある。図2の曲線AのピークがPMMAのC-H結合の倍音などである。」との記載(三頁右欄二四行ないし四頁左欄九行)のあることが認められる。右甲第九、第一〇号証はいずれも本願出願後に発行された文献であるが、これらの記載によれば、PMMAの可視領域における分子内の電子エネルギー準位の遷移に基づく吸収は実質的にはないに等しく、PMMAの可視領域における吸収はむしろ主としてC-H基準振動に起因する倍音・結合音の吸収ということであり、PMMAの可視領域及び近赤外領域における吸収に関する前記認定は、これら文献によつても裏付けられているものということができる。

なお、前掲甲第一二号証、いずれも成立に争いのない甲第一八号証(「化学大辞典7」・共立出版株式会社昭和三六年一〇月三〇日発行)及び同第一九号証(「化学大辞典3」・共立出版株式会社昭和三五年九月三〇日発行)によれば、倍音振動や結合音振動による吸収は基音振動による吸収よりもずつと弱いことが認められるが、たとえPMMAの可視領域における吸収がC-H基準振動に起因する倍音・結合音の吸収であるためにC-H基準振動そのものによる吸収よりも弱いものであるとしても、PMMAの可視領域における吸収としてその影響が現れていると考えられる以上、その吸収を解消すれば吸収損失もそれに応じて改善されることは容易に理解し得るところである。

以上によれば、第三引用例は赤外線吸収スペクトルについての論述であるから可視光線領域を対象とする本願発明には当てはまらないとする原告の主張は、理由がないものとして採用できない。

(三)  原告は、第三引用例の第2図に基づき、PMMAの重水素化によつて波数(振動数)三〇〇〇cm-1(三三三三nm)付近の吸収が減少するとしてもその透過率は六〇%程度であること、重水素化に伴つて新たな吸収が出現すること、PMMAの重水素化による吸収極大波数のシフトがみられるものの、全体としては重水素化してもかなり強い吸収が依然として残り、非重水素化PMMAよりも重水素化PMMAの方が透過率が低下していることなどを理由に、第三引用例における三〇〇〇cm-1(三三三三nm)付近の吸収の減少のみから可視光線を中心とする本願発明のオプテイカル・フアイバーの使用波長範囲での吸収の如何を論ずることはできない旨主張する。

しかし、審決が第三引用例を引用した趣旨は、同引用例が示す波長の個々の領域における透過率そのものを問題にするためではなく、重水素化されたPMMAが水素振動に基づく吸収を除去、あるいは減少させ得ることが公知であることを示すにあり、審決は、当業者であれば、これら開示事項に着目して、右三〇〇〇cm-1(三三三三nm)付近の波長領域とは異なる近赤外領域及び可視領域に生ずる吸収についても、同吸収が水素振動に起因する倍音・結合音の吸収である場合には、PMMAを重水素化することにより、これを除去、あるいは減少させ得るであろうと想到することは容易になし得るところであると認めて、本願発明の進歩性を否定したものである。因みに、前掲甲第二号証によれば、本願公報には本願発明があらゆる波長領域における全ての吸収を改善することを目的上するものである旨の記載は認められず、また、本願公報は、僅かに実施例4(同一条件下で重水素化したものとそうでないものを比較した実験例は実施例4のみである。)において五四六・一ないし九〇〇・〇nmの波長領域における非重水素化PMMAと重水素化PMMAとの伝達光の減衰度の比較を具体的数値(実験値)によつて示しているにすぎないことが認められるから、本願発明は適宜の限られた波長領域における光吸収を改善しようとするものであると認めるのが相当であり、右実施例4の実験結果によれば、吸収改善は近赤外領域で大きく可視領域で小さい傾向がみられるが、このような傾向は、第二引用例に示されるように、水素振動による極大吸収があるとされる近赤外領域と倍音・結合音による弱い吸収があることが予期されるにすぎない可視領域では重水素化により、改善効果が前者が大で後者が小である傾向が予想されるところであることに鑑れば、かかる実施例4の限定された波長領域での吸収改善の傾向は第三引用例から推測し得るものというべきである。したがつて、第三引用例の開示において、原告主張のように重水素化に伴つて吸収が改善された波長とは別の波長域に新たな吸収が出現すること及びPMMAの重水素化による吸収極大波数のシフトによつても全体としてはかなり強い吸収が依然として残ることが認められるとしても、そのことが同引用例の開示事項に着目して本願発明を想到することの妨げとなるものではない。

(四)  原告は、第三引用例に示されたPMMAは立体規則性であるところ、立体規則性PMMAは、結晶性であるから実用的なオプテイカル・フアイバーのコアポリマーとして不適当であり、その製造は工業的に実施することが困難であるため、第三引用例はオプテイカル・フアイバーの技術の改善に係る示唆を与えるものとはいえない旨主張する。

しかしながら、本願発明の基礎となつた従来技術であるPMMAからなるオプテイカル・フアイバーの製造技術が本願出願前すでに実用化された技術であることは当事者間に争いのない第一引用例の記載から明らかであり、また、本願発明が、このようなすでに実用化された技術を土台として、オプテイカル・フアイバーの光を伝達し得る能力を改善することを指向するものであることは前記二認定の本願発明の概要から明らかであるところ、第三引用例において光を伝達し得る能力を改善する技術手段が開示されている以上(なお、PMMAは、立体規則性のものも非立体規則性のものも共にC-H結合を有する点では同じであり、両者とも水素振動による吸収があるものと解されるから、第三引用例の開示する技術手段は立体規則性の有無によつて影響されるものとは到底考えられない。)、右開示された技術手段をすでに実用化された技術に適用すれば実用化された技術においても光を伝達し得る能力が改善されるものと予測することに困難はなく、第三引用例に示されたPMMAが実用的なオプテイカル・フアイバーのコアポリマーとして適当か否か、或いはその製造は工業的に実施することが困難であるか否かは、これをすでに実用化された技術に適用するうえでの妨げになるものとは解されない。

因みに、本願発明における重水素化PMMAを非立体規則性のものに限定する理由はなく、立体規則性のものと非立体規則性のものとの両方を含むものであると解すべきこと、及び、立体規則性のPMMAも光フアイバーに全く使用できないわけではないことは前記1認定のとおりであるから、必ずしも第三引用例に示されたPMMAが実用的なオプテイカル・フアイバーのコアポリマーとして不適当であると断言することはできない。

(五)  第二引用例には、審決認定のとおり、PMMAからなるオプテイカル・フアイバーの場合スペクトルの紫外部及び赤外部に存在する吸収帯がオプテイカル・フアイバー内部の光の損失に大きく影響することが記載されていること、及び、本願公報の発明の詳細な説明に例示されている波長域の近傍で、吸収帯の存在がオプテイカル・フアイバー内部で光損失に影響を与えることは、本願出願前すでに公知であつたことについては当事者間に争いがない。

なお、第二引用例が水素振動に基づく吸収として具体的に示すものは、一・一五、一・三五、一・六ないし一・八μm(一一五〇、一三五〇、一六〇〇ないし一八〇〇nm)に存在する吸収であることも当事者間に争いがないが、第二引用例にはPMMAの〇・七~三・〇μmの近赤外領域及び一部の可視領域においても水素振動に起因する倍音・結合音の吸収があることが開示されていると認められること、及び、本願発明のオプテイカル・フアイバーで使用される波長範囲は、四〇〇ないし一一〇〇nmであると限定して解することはできず、一一〇〇nmよりも長い波長の赤外領域を含むものであり、少なくとも二五〇〇nm以下の近赤外領域をも含むものであると解すべきことは前記1(二)認定のとおりである。したがつて、本願発明におけるオプテイカル・フアイバーにおいて使用できる光の波長は現状では四〇〇ないし一一〇〇nmであるから、第二引用例に示された水素振動は本願発明とは関係ない旨の原告の主張は理由がない。

(六)  以上によれば、重水素化されたPMMAが水素振動に基づく吸収を除去、あるいは減少させ得ることに着目し、オプテイカル・フアイバーの伝送損失に影響を与えている波長域での吸収帯の除去、減少のためにメタクリレート重合体を重水素化することは当業者が容易に想到し得たことと認められるとした審決の認定、判断に誤りはなく、審決には、第三引用例の技術的内容及びその示唆の範囲についての誤認は認められない。

五  よつて、原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担及び上告のための附加期間の定めにつき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、同法一五八条二項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松野嘉貞 裁判官 濵崎浩一 裁判宮 田中信義)

別紙

〈省略〉

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